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新聞掲載記事

更新:2005/08/29

特許公報から学ぶ発明物語(「プルタブ」編)

 普段当たり前のように使用している物の中には、誰が、何時、何のために、考えたものかと思わせるものがある。今回は、そういった物の中から、主に缶ジュースや缶ビールの蓋に使用されている「プルタブ」を例にとって、その発明の歴史を紹介したいと思う。

(1)ゴミの時代
 昔といっても、どれほど昔だったかは定かではないが、缶ジュースや缶ビールが世の中に出現した頃の缶の飲み口の開け方と言えば、先ず、(1)プルタブを一度起こして缶に小さな孔をあけ(この時に、「プシュッ」と音がする)、(2)さらにプルタブを引っ張って缶に飲み口を開けるというのが一般であった。当時のプルタブは、てこの原理を利用して缶に小さな孔をあける為、プルタブの先端に指を入れて起こすだけの小さな力で缶に孔をあけることができるという効果を奏するわけであるから、従前の瓶ジュースや瓶ビールのように栓抜きを使用して開栓していた物に比べれば、大変便利になっていたといって良い。

 昭和47年の特許公開公報(昭和47年10月17日に公開された特開昭47-24477号公報)には、そのようなプルタブが記載されている(図1参照)。
 しかしながら、このプルタブには、いくつかの問題があった。第1の問題は、飲み口が開いた後にプルタブが缶本体から分離してしまい、最終的にはゴミとなってしまうという問題である。この問題によって、プルタブは所構わず不注意に捨てられていたのである。
 当時を振り返ると、確かに、自動販売機の周りを含め、道端、海辺等あらゆる所で缶本体から分離されたプルタブを見かけたものであり、大変見苦しいものであった。第2の問題は、缶本体から分離されたプルタブの切り口縁部にはバリが発生して、いわゆるシャープエッジを形成しているとともに、プルタブの切り口自体も細くて人体に大変危険であったという問題である。缶本体から分離されたプルタブを触って指を切ったり、素足で浜辺を歩いていたときに足を切ったりした経験をお持ちの方も多いのではなかろうか。以上述べたプルタブは、ゴミとしてのプルタブと言っても過言ではない。しかしながら、これらのゴミが人の創作した発明によってだんだんと変わってくるのである。

(2)危険な資源の時代
 上述のプルタブは、(1)飲み口が開いた後にプルタブが缶本体から分離してしまい、最終的にはゴミとなってしまう問題、(2)分離されたプルタブが人体に大変危険であったという問題を備えていたのであるが、米国のW.M.ペリは、飲み口が開いた後においてもタブが缶本体から分離しないものを考えた。すなわち、タブを資源として利用できる方法を考えたわけである。米国特許第3,843,011号(昭和47年3月2日に米国に出願)には、W.M.ペリが発明したタブ付き缶が記載されている(図2及び図3参照)。

 ここに記載されているタブ付き缶は、人がタブを指で押さえることにより飲み口が開口されるものである。私もこのようなタブ付き缶(タブの形状は円形であったと記憶している。)を見たことがある。実際に指で押さえて飲み口を開口したところかなりの力を要したと記憶している。その為、1缶くらいならばなんとか開口できたとしても、例えば、10缶まとめてなんて言われたときには指が痛くなるような代物であった。また、飲み口を開口した際には、飲み口の縁部に指が強く接触することから、指を負傷するおそれもあった。
 ということは、W.Mペリの発明は、従来の「飲み口が開いた後にプルタブが缶本体から分離してしまい、最終的にはゴミとなってしまうという第1の問題」を解決したものの、「飲み口縁部によって人体に大変危険であったという第2の問題」については尚未解決であり、「てこの原理を利用していない為に、開口時に非常な力を要するという第3の問題」については従来の缶本体から分離されるプルタブの時代よりも使用状態が悪くなったと言ってよい。すなわち、このタブ付き缶は、資源として利用できたものであったが、人体に大変危険であったということからいわゆる危険な資源だったわけである。

(3)安全な資源の時代
 そこで、米国のアルミニウムメーカであるレイノルズメタルズ社のD.F.カドツィックは、飲み口が開いた後に缶本体から分離せず、飲み口縁部による人体に対する危険もなく、てこの原理を利用して簡単に飲み口を開口できるプルタブを開発することとなる。昭和51年7月19日に公開の特開昭51-82188号公報(本特許出願は、昭和50年11月24日に米国に既に出願されたものであって、後に、米国特許第3,967,752号として成立したものである。)には、D.F.カドツィックが発案したプルタブが記載されている(図4参照)。
 実は、上記したことは、この特許公開公報にすべて記載されているわけである。この特許公開公報によれば、従来の技術の問題として、「(1)プルタブは、不注意に捨てられ、見苦しいのみならず、素足に危険でもあるゴミをつくっている。(2)プルタブは、アルミニウム合金でできていることが多く、再利用できる。(3)従来、プルタブを缶本体に残すようにした設計が数多く発表されたが、製造コストが大幅に増加し、容易で便利な操業の保証が困難であった。」点が挙げられている。

 また、本発明の目的として、「操作し易く、従来の設計によるものよりも製造費が事実上高くならず、かつ離れ落ちないプルタブを提供せんとするものである。」点が挙げられており、発明の効果として、「プルタブを一旦引き上げてパネルに開口を形成し、さらにプルタブを容器の端壁に平らにあたるまで曲げ戻して飲用の際に開口を塞がないようにした時でもプルタブは缶についたままになることが確実に行われる。」点が挙げられている。また、プルタブの先端に指を差し込み易くする為に、プルタブの先端を少し凸状に曲げ、パネル部分を凹状に窪んだ状態に形成している点も述べられており、現在のプルタブにおいて利用価値のある細かな部分においても記載がされているのである。
 また、私もこれまで気づかなかったことであるが、このプルタブは、内部の圧力により端壁が膨張して上側に半球形に膨れ上がることが引きちぎりパネルの切離を容易にするようである。すなわち、内部にビールやソフト飲料などの炭酸飲料が入った場合において缶が上側に半球形に膨れ上がった状態で効果が増大するようである。私は、このプルタブに出会ったころから、このプルタブはおもしろい発明であると感じていた。一体誰がこのプルタブを発明したのであろうか大変興味があった。


 当初、日本のどこか田舎の町工場の職人さんが汗水流して考え出したものであろうと考えていたのであるが、調べてみると、その考えは儚く崩れ去り、実は、海を越えた遙か遠い外国において考え出されていたのである。「環境問題」、「リサイクル」と叫ばれる昨今においては、従来ゴミであったものがゴミでなくなっただけでもそれはすばらしいことであるのに、この発明は、ゴミを安全に資源に変えたのであるから、そのすばらしさたるや言うまでもない。
 その後、この発明は、米国のみならず、日本、ドイツ、フランス、イタリア等においても特許として成立している。出願日から20年以上が経過しているので本特許権は消滅しているけれども、現在もほとんどの缶ジュース、缶ビールに利用されていることからすれば、大発明と言っても過言ではない。以上述べたように、特許公報には、少なくとも一つの発明の歴史が記載されている。「従来こういう物があった。」に始まり、「従来の物にはこういう問題があった。」に続き、「従来の問題をこう解決しました。」に終わる。

 すなわち、従来の技術から従来技術の問題を解決した発明が完成するまでの物語が紹介されているのである。特許公報と聞くと、先ず、最初に【特許請求の範囲】の欄が記載されているので、一般の人には取っ付き難い代物であるかもしれない。しかし、先ず、【要約】の欄を読んで興味が湧いたら、【特許請求の範囲】の欄を飛ばして、【発明の詳細な説明】の欄を【従来の技術】の欄から【発明が解決しようとする課題】の欄へと読み進むと案外理解できるものが多い。一度試して頂けると良い。先ず何をする為の発明であるかを把握することができ、次の頁へと読み進む意欲が湧いてくるかもしれない。
 一方、特許公報は、技術とともに、その技術の発明者の名を永遠に残す書物でもある。将来、それもずっと先の将来に自分の子孫が特許公報を見て、すばらしい発明の発明者が、実は、自分の御先祖様であったと知ったとしたら、自分の名を発明者として刻もうと考える方も多いのではないか。そう考えたならば、先ず、身の回りの物から問題点を発見するように努力されると良い。新たな発明が浮かぶはずである。

 技術は、宇宙のように無限の広がりを可能性として有している。過去、現在、未来と考える中で、現在は、それらの中であくまでも一通過点に過ぎない。上述したD.F.カドツィックが発案したプルタブが現時点では最も良いプルタブかもしれない。しかし、近い将来、本発明のプルタブの問題を発見して新たなプルタブを発案する人が必ず現れると確信する。発明するといういわゆる創作活動は、人間の欲望を満たすものだからである。「もう(完成した)」ではなく、「まだまだ(完成しない)」なのである。

弁理士 吉本 聡


第1図:特開昭47-24477号公報第1図を使用
第2図:米国特許3843011号FIG.1を使用
第3図:米国特許3843011号FIG.2を使用
第4図:特開昭51-82188号公報FIG.20を使用