欧米の大手製薬企業で実際に採用されている知財戦略の一種であるパテントマイニング(特許地雷)戦略について,以下説明をはじめたいと思う。なお,パテントマイニング(特許地雷)戦略というのは,もともとは米国の IT・ソフトウェア関連産業において,いわゆるパテントトロール(パテントマフィア)と呼ばれる,研究開発・知財取得にのみ特化して,実際に製品開発・製造販売を行わないベンチャー企業が始めた知財戦略である。
2000年前後には,日米欧のヒトゲノムプロジェクトおよびクレイグ・ベンター博士の創業したセレーラ・ジェノミクスによるヒトゲノム解読完了という巨大な科学革命が進行していた。そして,DNAシークエンサーの高速化によって,大量の資金さえ投入すれば短期間で大量のDNA配列を解読することが可能になりつつあった。さらには,バイオインフォマティクス技術の発達によって,DNAシークエンサーによって解読したDNA 配列中からいわゆるORF(オープンリーディングフレーム)などの遺伝子候補配列を抽出することが容易になりつつあった。そして,アフィメトリクス社の開発したDNAチップなどの技術を用いて,ターゲット遺伝子候補配列の発現状況なども一気に大量に解析することが可能になりつつあった。
このような条件の下で,多くの米国のバイオベンチャーが,以下のような手順で実行されるパテントマイニング(特許地雷)戦略を採用するにようになった。
STEP1:DNAチップ,プロテインチップを用いたハイスループットスクリーニング
STEP2:粗々のin vitroの実験データにより遺伝子・蛋白の機能解析
STEP3:解析した機能について地雷発明を埋め込む
STEP4:どんどん分割して常に係属させておく
STEP5:ライバル企業が新製品の開発に着手したら地雷発明の1つを当て込む
STEP6:ライバル企業の医薬発明の特許出願には改良発明をかぶせ込む
STEP7:有利な立場を確保した上で紳士的にライセンス交渉・警告・権利行使
このように,多くの米国のバイオベンチャーが,とにかく高速DNAシークエンサーを用いて手当たり次第にDNA塩基配列を解読した上で,そのDNA配列からバイオインフォマティクス技術を用いて意味のありそうな遺伝子候補配列を抽出し,抽出した遺伝子候補配列の発現状況等をDNAチップ等を用いてハイスループットスクリーニングして粗々の機能を解析して,その粗々の機能解析に基づいて大量の遺伝子発明,蛋白質発明,抗体発明を特許出願している。そして、近年になって急激に低分子医薬から抗体医薬への創薬ストラテジーの方針転換を行った多くの日本の製薬会社が、このような米国のバイオベンチャーのパテントマイニング(特許地雷)戦略のターゲットとして狙われている。
既に、抗体医薬の分野では、多くの特許訴訟が起こっている。例えば、抗体医薬の市場規模は著しい勢いで拡大しており、主要抗体医薬(リウマチ)売上高(2007)は以下のとおりになっており、リウマチ向けの抗体医薬だけで1兆円近い市場規模を誇っているが、このリウマチ向けの抗体医薬の世界シェア1位対2位の企業同士で2009年に抗体医薬の特許訴訟(Centocor v Abbott事件)がアメリカであり、その結果米国史上最高金額16億ドル(約1200億円強)の損害賠償が認められるという連邦地裁の判決が出されている(もっとも、この抗体医薬の特許訴訟(Centocor v Abbott事件)では、2011年2月にアメリカのCAFC(連邦巡回控訴裁判所)において、特許権が無効であるという判決が出ており、特許権者(Centocor)が逆転敗訴している)。このような抗体医薬をめぐる訴訟が多発している現状を鑑みれば、最近になって抗体医薬の分野に進出を始めた日本の製薬会社は、アメリカのバイオベンチャーが巧妙に仕掛けた特許地雷をうまく踏まないように注意しながら、自前の特許網を築きあげて自社の事業を守っている必要性が高まっていると考えられる。
日本弁理士会関東支部 副支部長
弁理士 奥野 彰彦